1934年 | 太刀 | 銘 | 下野住人彦三郎昭秀作之 昭和九年六月吉日 |
刃長 77.1cm 反り 2.7cm |
形状 | 鎬造り、庵棟、中切先。 |
地鉄 (じがね) | 小板目肌詰む。 |
焼刃 (やきば) | 沸出来の互の目乱れ、尖り刃交じり、刃中砂流し、金筋・足入る。 |
帽子 (ぼうし) | 乱れ込み、先尖って返る。 |
彫刻 | 表昇り龍、裏下り龍。 |
中心 (なかご) | 棟小肉、鑢目筋違に化粧、先栗尻、孔一。 |
この太刀の作者栗原彦三郎氏(刀匠銘昭秀、明治十二年~昭和二十九年)は天田さんの師匠である。
廃滅の危機に瀕していた日本刀の復興を若くして決意、自らその活動を担うとともに、衆議院議員当選後は政壇から訴え続けた。
昭和八年、邸内に日本刀鍛錬伝習所を開設し、本格的に刀匠の養成を開始した。
本刀を製作したこの年には、建議が実を結んで、刀剣の帝展への参加が実現した。
翌十年には大日本刀匠協会を設立し、文部省の後援を得て新作日本刀展を恒例化、軍刀ブームを追い風として鍛刀界を隆盛に導いていった。
一門の刀鍛冶は、全容をとらえきれないくらい多い。
戦後は、講和記念刀の製作許可を政府に取り付けるなど、作刀再開のきっかけを作った。
近代以降の刀剣界最大の功労者と称してよい。
この作品は、当時としては異例に長寸であり、入念作の拵も付されているところから、注文打ちもしくは特別な贈答用として製作されたものであろう。
天田昭次 作品集より