1934年 | 刀 | 銘 | 北越住天田貞吉 昭和九年二月吉日 鷹御子柴廉地氏需造之 |
刃長 67.9cm 反り 1.6cm |
形状 | 鎬造り、庵棟、中切先。 |
地鉄 (じがね) | 小板目肌よく詰み、地沸つき、梨地肌となる。 |
焼刃 (やきば) | 直刃に湾れ交じり、沸よくつき、刃中砂流し、金筋・足入る。 |
帽子 (ぼうし) | 直に大丸に浅く返る。 |
中心 (なかご) | 棟小肉、鑢目筋違に化粧、先入山形、孔一。 |
製作者の貞吉(さだよし)氏(本名は「ていきち」、明治三十三年~昭和十二年)は、天田さんの父君である。
独学の刀鍛冶ながら頭角を現し、第十五回帝展人選、新作日本刀大共進会で最優等賞、第一回新作日本刀展で最高賞の文部大臣賞を受賞するなど、短期間に華々しい活躍を見せた。
山本五十六元帥の佩力も鍛えている。
しかし、その父には鍛刀の手ほどきすら受けていない。
天田さん九歳のとき、三十六歳の若さで急逝したからである。
その三年後、小学校を卒業するとすぐに、東京・赤坂の栗原彦三郎師の門を叩くのである。
少年の胸に「父のような刀鍛冶になりたい」「あのような刀を作りたい」という思いは強かったに違いない。
この力を数年前に、天田さんは初めて見た。正直に言って、驚いたそうである。
直刃を得意とはしていたが、地鉄は常のとは全く違うのである。
もちろん、無鍛の洋鉄刀などでは、断じてない。まだ素材は特定できない。
銘字も巧みで、天才鍛冶の面目躍如たる一刀である。
天田昭次 作品集より