1981年 | 太刀 | 銘 | 奉納彌彦神社大御前 天田昭次造之 以真木山製鉄遺跡出土鉄塊 昭和五十六年正月吉日 |
刃長 72.5cm 反り 2.1cm |
形状 | 鎬造り、庵棟、中切先。 |
地鉄 (じがね) | 小板目肌よく詰み、地沸つき、細かい地景入る。 |
焼刃 (やきば) | 焼き幅狭い直刃、匂口締まりごころ、匂いがちで小沸つき、わずかに小足入る。 |
帽子 (ぼうし) | 直に丸くわずかに返る。 |
中心 (なかご) | 棟小肉、鑢目筋違、先浅い栗尻、孔一。 |
昭和四十八年、近在の製鉄遺跡調査が行われ、その折発見された鉄塊が鍛打実験のために提供された。
遺跡は、古代から中世にかけての操業とみられる。鉄を究めようとする者にとっては、願ってもない機会である。
分析では鉄塊の含炭素量は意外に高かったものの、卸さなくても鍛打が可能で、折り返しは十一回に及んだ。
印象に残るのは、粘って鍛接性も良く、表面に油を注いだような光沢があったことだという。
作品は、一部に常にはない介在物痕が見られ、優美な刀姿、焼き低い直刃と相まって古調な雰囲気が漂う。
砥当たりも古刀に近いとは、研師の実感である。しかし、古刀ではない。
古名刀の再現には、当時の鉄を究めることは必須条件ではあっても、それだけではない。
鍛法も、鍛錬技術や熱処埋のいかんも同時に不可欠であると了解されたという。 本刀は残りの鉄塊とともに、豊浦町(現・新発田市)を経由して、越後一宮の彌彦神社に寄進された。
天田昭次 作品集より